汗ダラダラと悪夢とバランスと

悪夢をよくみる。
寝汗をびっしょりとよくかく。
叫びながら、暴れながら起床することもあったり、発作を起こしながら起床することもあったり、起床時のコンディションは常に最悪というか、「睡眠=疲れがとれる」というのは、健康な人に限るよなあと実感するばかり。
今朝の悪夢はおとなしい悪夢。自分の存在を誰か他人に知られると、殺されるという世界に生きて、ひたすらに息を潜めて逃亡するかのように生き続ける、そういう夢だった。
生きている以上、人はいくつかのコミュニティに属したりしてるとは思うのですが、そのうちの一つで、実際にこういうようなことをここ数年強いられつづけて、当たり前なのですが、それは自分のしたいことから相当なへだたりがあって、つまり、悪夢のようでいて、日常そのまんまな夢だったのだなあ。日常ではいくつかのほかのコミュニティがあるからなんとかなるんでしょうけどね。
まあ、あんまり、大好きな場所で「存在しちゃいません」と強いられすぎると、こうもなるのかもしれないねとも思ったりも。
そうね、これもそれも普通の日常のひとこま。


昔、おひめさま扱いされることが多かった。それはそれで、おひめさまならではの困難やなにやら、途方も無い苦しみはたくさんたくさんあったけど、まあ、おひめさまにはかわりない。
ここ数年、ゴミ扱いを一部でされてきたけど、それもそれで、ゴミならではの気楽さはあることはあったり。
どこかにいいところがあれば、どこかにやなところもある。
そして人生、平均すると標準になるように、おひめさまみたいにありえないものになっていたりすると、ゴミみたいにまた別の意味でありえないものになって、バランスがとれるんだろうな。
これを天罰ととる人(逆さに、報われたとか救われたというのも)もいるのかもしれないけど、単純にバランスがいいっていう、そういうことなんじゃないかなとも思う。
そういえば昔高額納税者だったが、最近はずっと無収入で生活保護をすすめられたりしている。
これもバランスだよなあ、あきらかに。
体の闘病は生まれてからずっとあった。
そして今もある。
心の(っていうか脳の、ですね。萎縮した脳って治るのかなあ)闘病も、体とのバランスと勝手に考えてみちゃおうかな。