他人事ではあるけれど

知り合いの恋人がやっかいな病態をしめしているのでなんとかふたりとも傷つかないかたちで関係をうまくやっていけないものかと本を読み漁る。
自分は直接かかわりたくない(かかわったりしても自分を守ることができる能力や知識があるかというと、ないからであって、いやな感情はない)。
とはいえ自分が学んだことを簡略につたえるというのはどうだろう。その知人が恋人に正面からむきあうきっかけを無くしてしまう結果にもなるだろうし。
知人が懸命に勉強してくれることを願うしかないのかもしれない。
脳の癖、人格の癖、考え方の癖は誰にでもあるけれど、それが逸脱した状態になっている人に関わる場合、お互いのために最低限の知識はいれておくべきなんじゃないかと思う。
しかもちょっとやっかいなものだったりもするので、その病気についての本には、周囲がこうしてあげないとということはたいがい一通り書いてある。本人の治療だけではどうにもならない部分が多すぎるものなので厄介ではあるが、逆にそういった技術を身に付ければ、お互いに気持ちのいい関係を継続できるので、医者と患者本人だけの治療の世界をひたすら遠巻きに見るというだけでなく、恋人となる人も参加して積極的に癖とのつきあいかた、癖の修正をはかれるのだから、恵まれているのかもしれないとも思うことはできる。恋人がなにかの病気になって、自分がなにもできないなんて状態のほうがなんだかやりきれない感じがいつまでも残りそうである。
今まで何組か女性が精神の病などにかかっているカップルをみてきた。
正直にいってしまうと、不幸なかかわりになるケースが多かった。いくらパートナーが協力的でもだめっていうものもあった。
しかし全部が全部そうではないんじゃないかなと、私は勝手にそう思っている。お互いにしっかりしていれば、しっかり人と、そして自分と向き合うきっかけになるのだ、恋愛というものは。
実際自分もそういうかかわりの中で非常に健全な心の状態になっていった過去もあった。
そのときはパートナーも非常にしっかりとまともになっていっていた。お互いにいい方向にむかえる関係は、しかし時折残酷なまでにお互いの姿を克明にわかりあい提示しあうというやりとりをも含んでいたので、エネルギーは必要だったのかもしれないけれど、それも自然にできていたような気がする。
まあ、今回は他人事なんだけど、かかわりを一歩間違うと、いや、間違わなくともなにも予備知識や手立てなくかかわると、とんでもない結果が待っていることは、自分は知っている。その人の過去を知っているから。そういった災難を、知人には防いでほしいのだった。災難にあうほうも大変だが、災難をもたらすほうもかなり切羽詰った気持ちになっていたり、いい状態では決してないはず。選んだのなら、そういったものは回避してほしいと切実に願うのだった。
昔と違って本もたくさんでているのだしね。
頑張れ!