知り合いいろいろ浮気の話

私が浮気したという話ではないので(不可能・・・)念のため。
しばしば浮気というものについて考えることがある。というのは私はどうも浮気者に縁があるらしいのだ。浮気者というよりだらしないというかどうしようもないというか、そういう感じなのかもしれない。
しかし、浮気者にも種類があって、浮気してもいいタイプとしてはいけないタイプがあるということはよーくわかった。
知り合い1は、かなりすごい量の浮気なんだか遊びなんだか、ともかく凄い勢いでほとんど性豪かなにかかとも思えるような生活を送っていたのですが、彼はほぼトラブルをおこさない人なのであった。相手をみきわめて遊んでいるし、遊び相手には過度な期待もさせていない。これ、ばれないでやってるとかいうことではなく、本命の彼女の耳に入っても、彼女がそれを容認してストレスに感じないだけの安心感を彼女に与えていたというのもかなり凄いことだとも思う。外に遊びにでかけてるくらいにしかその彼女は思えないという。実際にはもっと深刻だったかもしれないのに、それだけの安心感を与えたり、また浮気や遊びの相手がときにあぶなげな人であってもきちんと処理してしまえるあたり、なんていうか、浮気や遊びの能力が高かいんだろうなと思う。こういう人にしか、許されないものなんじゃないかなあ。ついでにいうと、こういう人は本当に大事なときやひとりにしないといけないときには、案外きちんとできちゃったりする。
知り合い2は、みんなを不幸にしてしまう。おそらく能力以上のことをやっているのだと思う。浮気相手遊び相手を不幸にしても本命の彼女が幸せならまだそれでいいとも思えるけれど、そうではないところが問題である。なんかいろーんな話しをきいてどんよりしたものである。
結局一人の人をも真剣に愛せない人、大事にできない人は、それ以上なんかとても無理っていう、それだけのことなんだろうなとも思う。
さがみたいなものはしかたがないのかもしれないけど、まずは自分の能力やタイプをみきわめて、そうしていいのかどうか判断すべきなんだろうな。
で、大方の人にはみんなもしくは一番大事な人を幸せにするだけのテクニックみたいなものがないから、浮気はいけないってことになっているのだとも思う。
道徳って、知恵、なんだなあ。